日本語の勉強とピーアノの習うのはだいたい同じと思います。
最初、習うの一番理由は物珍しい心理です。つまり、新しいことは面白いということです。それ後で、教えられるのは徐々に難しくなつて、感興も徐々に少しになりました。このフェーズはとても大切です。手上げれたつら、上手になることは難しいですが;手上げれなつたつら、多分できることはありうべきなんです。
日本語最初の勉強は5年前えにのことです。若いし、友達と一绪にまじめじゃなく申しごみたので、なかなかできません。半年あとで、手上げれました。
3年後で、日本学者の論文を読みたくて、もう一度日本語を勉強したいです。教えられたのはほどんど覚えなくて、必ずしも昔が日本語を勉強したことがあれば、今日本語を習いやすいというわけではない。
真面目に勉強して、辞書を買つて持つて、なるべく日本語を調べて使います。日本語のドラマを見て、漫画を読んで、それに宿題をできるだけに自分でします。言葉は使えれば使うほど、聞けば聞くほど、できるのはなりやすいです。わかること多ければ多いほど、感興は徐々に多くなります。日本語についてのことは、いつのまにか好きになります。
それから、日本語を勉強するの理由はよく変わりました。その過程とピーアノの習うのも同じです。練習すれば練習するほど、物の麗しいことを徐々にわかつています。
これ多分も人性の真理だと思います…
最初に好奇心で新しい言語を習いたいのはだいたい皆さんが持っている理由だと思います。そのカジュアルな気持ちはやっぱり将来の情熱を盛り上がるだろうから、大切ですね。いつか日本学者の論文が読めるから、日本語の勉強、頑張ってください。
人性の真理とは深いですね。
私もきっかけは何でもいいと思います。後は本人の熱意次第でしょう。
日本語には「昔取った杵柄(きねづか)」ということわざがあります。昔やっていたことは、しばらくしていなくても、ある程度上手にできるというような意味です。しかし、日本語の勉強には、このことわざは当てはまらないようですね。
多数の人の理由はBendickさんのより、シークエンスが違いますね。最初はアニメとか、ドラマとか、好きになってきて、日本語を勉強にするでしょう。でも、私にとって、Bendickさんの理由のほうがいいです。何をする理由は変わるわけですけど、どうしてそれをはじめた理由は大切でしょう。日本語の論文を読めるようになるのはいい理由ではないでしょうか。それに、あきらめなければ、いいことができるって、Bendickさんのブログにはおしえてくれました。私はあきらめやすいタイプですから、いつも何か続ける原動力は消えてしまえば、簡単にあきらめられます。そうかと言って、あきらめるわけにはいきませんね。上手になれなくても、その習う過程は楽しんだほうがいいでしょう。
オンさんは、日本学者の論文を読みたいので日本語をまじめに勉強しているね。それはほかの学生とずいぶん違うでしょう。面白いね。そして、日本語の勉強をして、人性の真理もわかったのはすごいと思う。さすがに哲学部の大学院生だけはある。
日本語三の時からずっと、日本語を楽しく勉強している。それからも、お互い日本語の勉強を頑張ってね。
わぁ、哲学者が書いてあることはいつも考えさせるね :P
そうですね、僕もいつも新しいことが好きなんだけど、時間が続けて、興味がだんだんなくなった。そう言っても、何かためのする理由を探したら、興味がだんだん増えるになるね。
僕は剣道に同じ場合を見たよ。一年前に興味がなかなかないけど、新しい後輩が参加すると、皆そんなまじめで、楽しそうに練習するのを見ると、僕もそうする方がいいなと思った。それで、まだ剣道を続けている :P